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エリオン

エリオン 先生

幻視者エリオン

鑑定歴:25 年

在住:埼玉県

性別:男性

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コメントなどにご利用いただけます。

2008/04/30 17:16
ラポール(心の橋)の構築(4)

相手がカップを手に持ったら、自分も持つ。

相手が耳を触ったら自分も触る。

体を動かしら自分も動かす。

とまあ、こんな感じです。

ちょっと難しいかも知れませんが、できれば呼吸のリズムも合わせるといいですね。

これを続けていると相手は無意識にこの人は自分と同じだと感じるようになります。

それから多分気付いていると思いますが、これは恋愛にも使えます。

物凄い即効的な効果はなくても、相手にある程度好意を持ってもらうことはできるでしょう。

ただ、あからさまな猿真似で悟られてはいけません。

あくまでさりげなく、相手の動作に合わせることが大事です。

相手が真似されていることに気付いてしまうと潜在意識に影響が与えることはできなくなります。

これではラポールが構築できません。

この点に注意して、機会があれば一度試してみてください。

では。

2008/04/29 17:58
ラポール(心の橋)の構築(3)

それから、昨日も書いたように会話に名前を入れるのは相手が喜ぶとは言え、程度を考えないといけないでしょう。

あまりあからさまだと相手は違和感を感じますし、人によっては馴れ馴れしすぎると嫌がるかも知れません。

要するに相手にまた話しをしたいという思いを抱かせることなので、十分に注意して、ラポールを築かないといけません。

ラポールは大事なキーワードですから、今後も機会があれば取り上げたいと思います。

昨日までのもの以外にも、さまざまなラポールを築くためのテクニックがあります。

一番、有名なものは「ミラリング」でしょうか。

これは英語の「mirror」(鏡)から来た言葉で、要するに相手の動作をそのまま真似ることです。

喫茶店で向かい合わせまたは隣に座って、鏡に映したように相手と同じ動作をするんですね。

2008/04/28 18:01
ラポール(心の橋)の構築(2)

そう云えば、昔、パリで通訳をしていた時に日本から来たどっかの県会議員だか市会議員が初対面なのに私の名前を本当に頻繁に会話に挟んだことを覚えています。

ちょっと違和感があるくらいでしたが、意識的にやっていることはよくわかりました。

議員の処世術なんでしょう。

人は名前を呼ばれるとなぜ親しみを持つのでしょうか。

自分に対して潜在的に強い関心を持っているからです。

そのためにどういう風に呼ばれるかで相手に対する印象も変わってきます。

自分が注目されていると感じると潜在心理がくすぐられて気持ちがいいんですね。

だからそういう相手には好意をもってしまいますし、お互いに親密感も生まれるわけです。

ついでに言えば、アメリカの心理学者によると、話をする時に「私」よりも「私たち」を多く使ったほうが聞き手の関心を引き易いとのことです。

「あなたたち」だと、話し手である自分と聞き手とは別の存在であることが強調され、突き放した言い方に聞こえるわけです。

それに対して「私たち」は同じ立場という一体感を生み出します。

ただし、英語と日本語ではかなり違いますから、この理論をそのまま適用することは難しいでしょう。

とにかく、自分は相手と同じ側に立っていると思ってもらえるようにすることですね。

2008/04/27 18:13
ラポール(心の橋)の構築

今日はラポールの話をします。

ラポールと言うのは元々はフランス語(「rapport」と書きます)で、「関係」といった意味を持っています。

ただ、心理学においてはやや特別の意味が与えられていて、たとえばカウンセラーと患者の間で使われます。

要するに相談する側とされる側の信頼関係といった感じですね。

そして、これはや占い師とクライアントの間にも使うことができます。

当然ながら占い師にとってもラポールは非常に重要なんですね。

ですから、様々な方法で早くラポールを築こうとします。

すべてを紹介することは出来ませんが、一番簡単なものを上げてみます。

まず、会話で相手の名前を頻繁に口にするというのがあります。

あまり日本人はやらないようですが、アメリカの映画やドラマを見ているとやっていますよね。

「グッド・モーニング、ミスター○○」とか「ようこそ、ミス○○」といった感じです。

会って間もないのにファースト・ネームで呼ぶこともあるようです。

あれは互いの距離を縮め、仲良くなるために非常に有効なのです。

人は頻繁に名前を呼ばれると何となく親しみを覚えるわけです。

ただ、日本ではよく知らない人を下の名で呼ぶのは失礼ですから、ちょっと事情が違いますが。

2008/04/26 17:58
不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(7)

卑劣な殺人者が五体満足のまま、のうのうと生き延び、その一方で罪なき子供が無意味に殺されたり、才能ある人間が難病に苦しんだあげく、若くして無念の死を遂げます。

こうして見ると不公平なようですが、どのような人生を生きようが、そんなことには一切頓着しなからこそ、死は公平なんです。

言ってみればあらゆる死が不条理と言えるでしょう。

しかし、そうした不条理な死を受け入れられない人間はしばしば生まれ変わりや、前世、来世といった考え方にしがみ付きます。無意味な死に意味を与えるために。

もともと物事に意味付けしようとするのは、人間の普遍的な傾向からくる生きるための本能みたいなものです。

偶然の結果でしかない自分の生にも意味を見出そうとするんです。

神が人間を創造したと信じる者は、そこに神の意志の必然を見出し、無神論者だとか実存主義者も、自分が生きるということの中に、主体性または何がしかの必然性があると考えます。

そういう根拠を喪失してしまえば、そして自らが偶然的な存在に過ぎないと思い知れば、人は虚無に耐えられず、自我は崩壊し、生きていけなくなります。

要するに、生に意味を見出すことによって、死を受け入れようとするのですね。


では。

2008/04/25 17:33
不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(6)

ある事象と偶然に出会った時、心の中でもそれが同時生起していたからこそ、人はシンクロシニティ現象に驚き、印象深く感じます。

ほとんどの場合、物理的出来事と心的出来事が照応しているために意味があるように思うのです。つまり、偶然の一致の連続に意味を感じる人間が作り出した幻がシンクロシニティだと言えるでしょう。

ではなぜ人は様々な事象に意味を与えようとするのでしょうか。

有名無名、貧富、才能のあるなしを問わず、人は自分はこの世界の主人公であり、決定的に悪いことは起こらないと思っています。

怪我や病気、突然の死は自分ではない他人に起こることなんです。

だから死病に冒された人間はなぜ自分がと思います。これは豊富な経験を積み、人から尊敬されるような人間でも同じです。

そんな例は嫌と言うほど見たことがあるでしょう。

自分のしてきたことや、才能、将来などから、自分の人生には意味があると信じる人も多いと思います。

かりにそうしたものが何も無くても、人は「なぜ私がこんなに早く死ななければならないのだ」(実際に何歳であるかは関係がありません)と考えます。

しかし、どんなに自分は主人公として生きてきたと思っても、実際には単なるワンノブゼムなのです。少なくとも死の前では誰も特別の存在ではありえません。

2008/04/24 18:26
不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(5)

こうした話に飛びつく人は多いでしょう。インターネットを見ても、シンクロシニティに宗教的意味や超心理学的意味を与え、願望実現力に繋がるなどと主張しているサイトさえあります。

しかし、昨日も書いたとおり、共時的に交差する複数の因果的系列それぞれの間に、自然科学で採用されるような因果関係はありません。

ここでもう一度、因果と偶然、そしてシンクロシニティを整理してみます。

因果とはAという原因からBという結果が起きることです。ところが結果のところ、つまり因果が不確定だったり、多様だったりするものがあります。それが偶然です。

Bと云う結果に繋がるA系統の因果と、イと云う結果に繋がるア系統という因果があるとすると、それぞれの系統は因果律で説明できます。

しかし、A系統の因果とア系統の因果が交錯する偶然は因果律では説明できません。

それでもA系統とア系統の因果を結ぶ軸があると考え、その偶然に意味があると感じるのは人の心です。

世の中にはありとあらゆる偶然、必然の事象が同時生起していますが、ある特定の事象を奇妙だと思うのは、そう感じる人間という主体が存在するからです。

2008/04/23 17:03
不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(4)

要するにシンクロシニテイは、一定の継続的時間のうちに起こる何となく気になる偶然の積み重ねです。一つひとつの出来事の間には因果関係はないのに、なんらかの関係があるように感じるような偶然の。

そのために、シンクロシニテイは意味のある偶然と表現されることもあります。偶然とはもともと意味がないものですから、意味のある偶然とは表現上の矛盾なのですが。

しかし、本当はシンクロシニテイ現象には何の意味もありません。人間が持っているあらゆる事象に意味を見つけようとする一種の本能が生み出す幻想なのです。

人は常に、あらゆるものに意味を見出さないと生きていけないようです。

生物学者パウル・カメラーの日誌にはこんな話が書かれています。

ある人がコンサートに行くと、座席番号が九番でクローク札も九番でした。次の日、別のコンサートで、彼は二十一番の席に座り、クロークの札は二十一番でした。

この程度の偶然の一致の経験は、誰にでもあるでしょう。しかし、それをどう取るかは人によって違います。ある人は単なる偶然だと言い、別の人は何らかの啓示と感じます。

また、タイタニック号や2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を予言したとされる小説も一種のシンクロシニティとして話題になりました。

2008/04/22 17:49
不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(3)

ユング自身にもこんなエピソードがあります。

彼はある日の昼食時に、誰かが「四月の魚(フランス語でエイプリルフールのこと)」の習慣について喋るの耳にします。午後に、彼の患者が、自分が描いた印象的な魚の絵を見せました。そして、晩には、別の人物から魚の模様が刺繍されたテーブルクロスを見せてもらうことになります。

その夜、彼はたまたま書いていた文章の中で「人間は全体として塵から生まれた中途半端な魚である」との一節を記しました。また、翌日になって、何年も会ってなかった患者が訪れ、海に巨大な魚が現れ、自分に迫ってきたという夢の話をしました。

ユングはこの時期、歴史上の魚の象徴に関する研究をしていたが、そのことを知っていた人物はこのエピソードに登場した人物の中で、たったひとりでした。

誰でも似たような経験をしたことがあると思います。あることに意識がいった場合に、それに関連する様々な出来事が集中して起きるように感じるのも同じことです。

2008/04/21 17:57
不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(2)

そして、そんなふうに何度も死線を潜り抜けてきたのに、最後は普通では落ちてくるはずのない亀の甲羅に当たるといった馬鹿げた偶然によって死んでしまうわけです。

世の中は意味のない死で満ち溢れています(どのような死に意味があるかの議論はこの際別にして)。

死に限らず、人はしばしば自分に訪れた不条理な事態を前にして、疑問にとらわれることがあります。なぜ、自分なのだろうと。

「シンクロシニティ」という言葉をご存知でしょうか。知っている人は知っているし、知らない人は知りません(当たり前ですが)。

これは心理学者、ユングの造語で、「共時性」と訳されていますが、何のことかわからないと思います。パラサイコロジーが好きな人にはなじみがあるかも知れませんが。

例を上げてみましょう。

有名なところでは「図書館の天使」の話があります。

レベッカ・ウェストという作家が、ある時、ニュールンベルク裁判の死刑囚のひとりに関するエピソードを調べていましたが、必要な本がなかなか見つかりません。

彼女は困って、図書館を一時間もうろうろした挙句、図書館員に「ちょっと教えていただきたいんですが......」と言いながら、何気なく手近の本を一冊引き抜いて開いたら、それが彼女が探している本だったんです。

2008/04/19 18:10
不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(1)

かなり前のことですがが、テレビドラマ「CSI:科学捜査班」で、自分の娘が事故死したのに、それが受け入れられず、誰かに殺されたのだと飽くまで主張する親の話がありました。

この娘は道端に置かれた大型のゴミ収集箱からゴミ籠を拾い上げようとした時に、たまたま横を通った車がスリップし、ゴミ箱に衝突したために押しつぶされて死んでしまったんですね。

確かに非常に「下らない」(こんな表現が許されるとしてですが)死に方かも知れません。

多分、彼女の親は、たとえ殺されたのであっても、恨まれたのであっても、まだその死には意味があると考えたのでしょう。

単に運が悪かっただけの死では自分たちの気持のやり場がないんです。殺されたのであれば、殺した相手を憎み、怒りをぶつけることもできます。

勿論、これはドラマの中での話ですが、よくわかりますし、似たような状況を実際に見たこともあります。

しかし、不条理な死は人を選びません。金持ちであろうと貧乏であろうと、地位が高かろうと低かろうと、その人が何を成し遂げたかなど、考えてはくれません。

その意味ではまさに平等です。

ギリシアの詩人、アイスキュロスは天から降ってきた亀の甲羅が頭に当たって死んだと言われています。

一羽の鷲が亀を捕まえたものの、硬い甲羅に困って、岩で砕こうとして落としたものが当たったんですね。

彼は数々の戦争に出陣し、また、秘儀をもらしたとして死刑の宣告を受けたりしています。

2008/04/17 17:55
言霊についての考察(9)

今まで見てきたように、言葉にはそれ自体が持っている力があります。

人はこの力を昔から意識的、無意識的に人の心を誘導するために利用してきました。これも一種のマインドコントロールと言えるかもしれません。

たとえば、差別用語や放送禁止用語ですが、単に特定の言葉の使用を禁止しても、本当の問題を覆い隠すだけで意味がないと言われることがあります。

しかし、ある言葉が使われなくなることによってその事象の存在自体が希薄になることがあるんですね。

反対に禁止用語として注目させることによって意識を高めることもできます。

様々な要素が複雑に絡まりあっていますから、一概には言えませんが、そのお陰もあって、いわゆる差別問題も昔と較べると随分少なくなってきたと思います。

別の言霊の例として、キャッチコピーを上げることができます。

複雑な事象を簡潔かつ印象的な言葉で表わせば、人の記憶に残りやすくなり、社会的な浸透度が上がります。イメージばかりが先行してしまうという欠点はありますが。

優秀なコピーライターは現代の言霊使いと云えるでしょう。

昨日書いたヒトラーのような演説の名人も、詩人もそうですね。

2008/04/14 17:25
言霊についての考察(7)

話は替わりますが、昨晩の「世界一受けたい授業」(日本テレビ)に、元米副大統領で、2000年の選挙ではブッシュ現大統領に僅差で敗れたゴア氏が出ていました。

映画「不都合な真実」の宣伝が目的だったのでしょうが、それはいいとして、彼は「地球温暖化」と云う言葉は優しいので人々の心に響きにくい、だから「気候の危機」を使っている言ってました。

これは誰でも思い当たるでしょう。同じことを伝えるのでも使う言葉でインパクトが違います。

そして、これを推し進めると人の心を操作することができるわけです。いわゆる洗脳またはマインドコントロールですね。

マインドコントロールには様々な方法がありますが、割りと一般的で「ソフト」な方法(ハードは方法は別の機会に説明します)として、特定の集団内でのみ通用する特殊言語の使用が上げられます。

たとえば、兵士に特定の話し方や言語を使用させることによって、国家や指導者に忠誠を誓わせることができます。また、ある特定の国や民族に敵意を持つようにすることも可能です。

2008/04/13 18:42
言霊についての考察(6)

ストーキングと云う行為自体はきっと昔からあったのでしょう。しかし、この言葉が一般的になってから実行者が大幅に増えたんですね。

病気にしても一般に知られるようになると患者が増えるといったことを聞いたことがあります。

ある現象に明確な名前が与えられることによって、隠れていたものが顕在化するということはあるでしょう。

しかし、それだけではなく、言葉が一般的になるとその言葉が持っている力に影響される人間が増えることもあるのではないでしょうか。

この現象を科学的に検証した例はないようですから、客観的な説明は難しいかも知れませんが、私はこれも言霊の一種だと思っています。

昔、「光化学スモッグ」と云う言葉が一般化すると、朝礼などで倒れる生徒が急増しました。大勢の子供たちが一斉にばたばた倒れたんですね。

しかし、「光化学スモッグ」があまり注目されなくなると、倒れる生徒の数は元に戻っています。これも言霊の持つ自己暗示効果のせいだったのでしょう。

2008/04/12 17:45
言霊についての考察(5)

言霊についての考察の続きとして、大分前に書いた話をもう一度取り上げます。

昔、日本で子供時代を過ごしたフランス人女性に聞いたんですが、フランスには肩凝りと云う概念がなく、そんな現象もないと云うんですね。

実際に他のフランス人と話しても肩凝りを知りませんし、説明してもわからないようです。

ところがこれはある本を読んで知ったことなんですが、肩凝りと云う概念を持たなかった人間もたとえば日本に住んで、それを理解したとたんに肩凝りが始まるとのことです。

これは非常に面白い現象と言えるでしょう。しかし、日本にしても肩凝りとの言葉がまずあって現象としての肩凝りが始まったわけではないはずなので、そのあたりのことがよくわかりません。

それから「ストーカー」ですが、この言葉が一般に知られるようになったのは1980年のジョン・レノン射殺事件からだと思います。

そして翌年のレーガン元大統領暗殺未遂事件(ジョディ・フォスターの熱狂的ファンが彼女の気を引くために大統領暗殺を図った事件)でも話題となり、完全に市民権を得ました。※

※「ストーカー」または「ストーキング」は最初は有名人に対する行為だけを指していたと思います。

2008/04/11 16:59
言霊についての考察(4)

例えば、「血液型占いは正しい」という期待を持った時、A型で神経質な人とそうでない人の両方を見たにも関わらず、無意識的にA型で神経質な人のことだけを選択的に記憶していくことにより、「やはり、身近な人にもよく当てはまっているから、血液型占いは正しい」という期待通りの結果を自分で生み出してしまうという現象などがそれに当たります(この場合、「血液型占いは正しい」かどうかはわからないんですね)。

また、他者または自己自身に対するレッテル貼りの効果、実験場面における実験者効果、教師の期待のピグマリオン効果※、役割の内面化、などが知られています。いずれの場合にも、本人には、自己の予言や仮説が客観的に確証されたように見えます。

※これは教育心理学における心理的行動の一つで、 人は期待された通りの結果をもたらすいう行動を意味し、アメリカの教育心理学者ロバート・ローゼンタールによって実証されました。

人の思いや祈り、念が人の言葉に乗って周りに影響を及ぼし、実現されたように見えることは実際にあるわけです。

2008/04/10 17:56
言霊についての考察(3)

また、言霊をこうした語呂合わせによる験担ぎ以上のものであり、「人の思いや祈り、念は人の言葉に乗って周りに影響を及ぼしていく。それが良いものであれば良い影響を、悪いものであれば悪い影響を与える」との考え方もありますが、これも単なる迷信だと片付けてしまう人も多いでしょう。

しかし、これに似た現象が現実にあります。「自己成就予言」と言い、科学的に検証されています。

「自己成就予言」とは、個人が、意識的あるいは無意識的に、自己の予言や主観的期待に沿うような結果を生じさせる行動をとったために、自己の予言や期待通りの結果が出現する現象、または、そのような予言のことを言います。

つまり、ある情報を与えられ人々が、その情報が正しいと認識する時、その情報に応じて自分の行動を選択します。

そして、その行動が実施された結果、最初の情報と一致した結果が実現するわけです。

当事者には当初の情報が正しかったことを証明されたように感じられますが、実際には情報の正しさとは関係がありません。

2008/04/09 17:30
言霊についての考察(2)

これが現代人にも「悪い言葉は言ってはいけない」という感覚として残っています。一般的には忌み言葉と言います。
 
この忌み言葉を口にすることを良くないことが起きるので別の言葉で言い換えるわけです。

これは結婚式やお葬式などでもっとも意識されると思いますが、実際には普通の状況でも結構使われています。

宴会等で「終わり」と言う言葉を嫌って「お開きにする」などもそうです。 鏡開きも「割り」を避けるために「開き」が使われているわけです。

有名なところでは「する」が縁起が悪いので、「アタリメ」や「あたり鉢」と言うようになったなんてのがあります。

以外なのは今でも雑誌のタイトルなんかに見られる「キネマ」ですね。これは「シネマ」のシネが死ねの通ずるので言い換えたのだそうです。

昨日、言霊の例として書いた忌み言葉は、日常でもよく聞きますし、特に冠婚葬祭や受験などの時には神経質になっているのか、うるさく言う人が今でも結構いるようです。

ただ、ほとんどの人は本気では信じていないと思います。

2008/04/08 18:26
言霊についての考察

今日は「言霊」をテーマに取り上げたいと思います。

お彼岸の「恵方巻き」もそうですが、日本にはいわゆる縁起かつぎが沢山あります。そして、
その中でももっとも多いのは、この言霊信仰に基づいたものでしょう。

最初に簡単に言霊について説明します。

「太古の文字のなかった時代、言葉は音の響きだけだったが、それが言霊となって言葉の響きが神の響きと共鳴し合っていた。

そのために音の響きが同じものは共通した意味を持っている。例えば「カミ・神・髪・上・噛み・紙」「チ・地・血・地」など。

言葉は単に情報伝達の手段や音だけではなく、言葉に霊が宿り相手の霊に直接響き訴えたり、また発する言葉で物事を実現させたり、願いを成就させる力を秘めているのである」

これが基本的な考え方ですね。

2008/04/07 17:49
記憶の河を遡る(7)

私の見る限りでは、霊能者や精神感応者といった人たちはほとんどの場合、人の精神の上っ面だけを撫でているようですが、この方法では人の精神の中に潜っていきます。

まずサイココンバータと呼ばれる装置を使用して、精神の波長を同調させてから精神の中に潜り、様々な抑圧された記憶を探り出すわけです。

そう云えば、サイコダイビングをすると云う占い師がいるようだが、彼もここからアイデアを得たのでしょう。

しかし、残念ながら今のところサイココンバータなる装置は存在しませんし(玩具に同名のものがあるが、機能は全然違う)、サイコダイビングも実行は不可能です。

今のところは記憶を遡ることができるだけです。

これでこのテーマを終わります。

2008/04/06 18:11
記憶の河を遡る(6)

別に山に登る感じにしても一向に構いません。ただ、上に行く感じには違和感をもつ人も多いでしょう。

通常は海をイメージすればいいと思います。潜って行く感じにするわけですね。このほうがしっくり来る:じゃないかな。

記憶の海の底までダイブするのはわかり易いイメージだと思います。記憶は古いものの上に新しいものが積み重なっていく感じだからです。

実はこの方法はサイコダイビングからヒントを得ています。ただし、記憶だけではなく、精神構造全体に潜るわけですが。

これは作家の小松左京氏が最初に打ち出したアイデアで(「ゴルディアスの結び目」)、やはり作家の夢枕獏氏がその作品(サイコダイバーシリーズ)の中で発展させています。

このイメージは非常に面白いですね。

2008/04/05 18:19
記憶の河を遡る(5) -退行催眠

大体、退行催眠肯定論者が生まれ変わり研究の権威としてよく紹介するイアン・スティーヴンソン博士さえ、「前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている状況を、何とか終息させたい」と言うほど、その実体はお粗末なものなんですね。

ただし、いまだに多くの人が「抑圧された記憶」という神話を信じており、記憶は簡単に書き換えが可能だということを知らない人も多いことも確かです。

私が紹介する記憶遡行法は勿論、退行催眠とは違うものですが、精神を集中することによって、忘れていた遠い記憶が甦ってくることがあります。

しかし、それが事実であるかどうかは神のみぞ知ることをお忘れなく。

私はもともと寝付きがいいほうなので、横になってから寝入るのにそんなに時間はかかりません。

しかし、ほんのときたま何かで頭が興奮してなかなか眠りの世界に落ちていけず、輾転反側することがあります。

そんな時には、一旦起きて寝酒を飲むか、気分によっては記憶を辿ってみるんですね。

その場合には横たわって意識を集中するわけですが、頭の中で河をイメージし、段々と遡るようにしています。

しかし、これには別に決まりがあるわけではないので、それぞれのやり方でいいと思います。

2008/04/04 17:30
記憶の河を遡る(4) -退行催眠

記憶とは本来非常に不確実なもので、事実とは異なる情報が思い出されてしまうこと、つまり、記憶システムの中で記憶情報の変容が起こってしまうことがあるんです。

これは、本人には間違った記憶だという自覚がまったくなく、正しい記憶のつもりでいることから、思い出せない場合よりタチが悪いと言えます。

また、退行催眠には術者の能力、術者による暗示、被験者が過去に見聞きした情報の混入、被験者が術者の潜在的な欲求に応じてストーリーを演じる可能性などの問題があるとも考えられています。

現在では、「抑圧された記憶」ではなく「偽りの記憶」という概念が世間にも知られるようになってきており 、退行催眠による呼び起こされた記憶だけでは裁判の証拠にはならないとされているようです(控訴審で判決が覆るといったケースも出てきています)。

余談ですが、宇宙人よる誘拐事件(アブダクション)の調査においても、退行催眠を利用して記憶が呼び出されることが多いのですが、これらのアブダクション情報は、熟練した催眠治療の専門家の間でも、その正確さに多くの疑問がもたれています。

2008/04/03 18:15
記憶の河を遡る(3) -退行催眠

昨日触れた退行催眠について少し書いてみます。

この言葉は日本でも最近よく耳にするようになったとは思いますが、あまり詳しくない方のために簡単に説明すると、催眠術によって、過去の抑圧された記憶を掘り起こそうというものです。

これを利用して、なんらかの精神的障害の原因を取り除く療法もあります。

また、退行催眠によって生まれる前、つまり前世の記憶まで思い出すことができるとも云われています。

退行催眠は、ご想像の通り、アメリカで生まれたのですが、ある女性が子供の頃に父親が殺人を犯したことを思い出した事件(1990年)をきっかけに、一躍注目を浴びました。

そして、多くの女性が幼い頃の性的虐待の事実を思い出し、父親に対して裁判を起こすといった現象も見られています。

しかし、その後こうした退行催眠によって呼び覚まされた記憶の信憑性について疑問視する声が高くなってきています。

確かに、これらの記憶は細部にわたって鮮明であるために一見真実であるように思えますが、実際には、それが事実であるとの証明がほとんどの場合できません。

2008/04/02 17:40
記憶の河を遡る(2)

そして段々難しくなってきますから、その時は、ちょっと説明しにくいのですが、出てきた人間とか風景を足がかりに更に過去に戻るようにします。

コツを覚えるとかなり昔までたどり着くことができます。

そう云えば、三島由紀夫は生まれた瞬間の記憶があると言っていましたが、私はさすがにそこまで遡ることはできませんでした。

いつもあるところで止まってしまい、それ以上戻れません。なんだか胸が苦しくなって続けられなくなってしまうんですね。

まるで禁断の領域でストッパーが掛かっているかのようです。何か隠さなければならない忌まわしい記憶でもあるのかも知れません。

冗談はともかくとして、これで思いがけない発見をすることもあります。まあ、興味のある方は一度やってみてください。

ただ、変な記憶にはまり込むと抜け出すのが大変だったり、眠れなくなるので注意したほうがいいでしょう。

とろでこの話を読むと最近一部で流行っている退行催眠と似ていると思う人がいるかも知れませんが、この点については明日詳しく書くことにします。


2008/04/01 17:59
記憶の河を遡る

ちょっと前にテレビで思い出すことは脳に良いと言っていました。

最近のことや昔のことを交互に思い出すのが一番いいのだそうです。

しかし、私は最近のことはともかく、昔のことを思い出そうとすると、ろくでもない記憶しか浮かんできません。

幸せだった記憶なんかまるっきりなくて、人に苛められたり、苦しかったり、恥ずかしかったりする思い出ばかりです。

これでは脳には良いのかも知れませんが、精神には良くないのではないかと思うくらいです。

そのためか私は過去の記憶に浸り、懐かしむような習慣はありません。

ただ、最近はあまりやりませんが、一時はどれだけ昔の記憶にまで遡れるかといったことに凝っていたことがあります。

ベッドで眠りに落ちる前とか、ソファで横になっているとか精神を集中できる状態の時に、できるだけ過去に遡って記憶を呼び起こしてみるんですね。

この時、最初からあまり一度に遠い昔のことを思い出そうとしないほうがいいようです。

つまり段階を踏んで徐々に過去を遡るようにするわけです。

たとえば10年前くらいから始めて、20年前、大学、中学、小学校といった具合に。